境内案内

 【 日本のはじまり物語 二 】

 しかし、宇陀にはこの土地をすでに支配している兄宇迦斯(エウカシ)と弟宇迦斯(オトウカシ)の兄弟がいました。
 そこで、まず八咫烏を遣わして神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)に仕えるかどうか尋ねさせましたが、兄のエウカシは従いません。エウカシは軍勢を集めてイワレヒコを迎え撃とうとしましたが、うまく軍勢を集めることができませんでした。そこで、イワレヒコに仕えると偽って、ひそかに御殿を作りました。それはなんと、中に人が入ると天井が落ちてくる罠を仕掛け、イワレヒコを陥れようとした恐ろしいものでした。

 このことを弟のオトウカシが、エウカシに内緒で教えてくれたおかげで、イワレヒコは大伴連らの祖先の道臣命(ミチノオミ)と久米直らの祖の大久米命(オオクメ)をエウカシの元に遣わせました。二神は矢をつがえて「仕えるというなら、その仕えるための御殿にまずお前が入って仕える様子を見せろ」とエウカシに迫り、エウカシはとうとう自分が仕掛けた罠にかかってしまいました。

 次に、忍坂の地まで来ると、土雲の八十建(ヤソタケル=数多くの猛者)が待ち構えていました。そこでイワレヒコはヤソタケルに御馳走を与え、刀をしのばせた八十人の調理人をつけ、合図とともに一斉にヤソタケルを打ち倒しました。
 その後、ナガスネヒコと戦い、兄師木(エシキ)・弟師木(オトシキ)との戦いのさなか、イワレヒコより先に天降っていた天津神・邇芸速日命(ニギハヤヒ)が参上し、天津神の御子としての印の品物をイワレヒコに差し上げて恭順の意を示したことで全ての戦いが終わりました。
 このようにして荒ぶる神たちを服従させ、畝火の白檮原宮(畝傍山の東南の橿原の宮)でイワレヒコは初代天皇(後の神武天皇)として即位したのです。

 その後、大物主神の子である比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と結婚し、日子八井命(ヒコヤイ)、神八井耳命(カムヤイミミ)、神沼河耳命(カムヌナカワミミ、後の綏靖天皇)の三柱の子をもうけたといいます。

 こうして大和の国は平定され、その業績は、現代へとつづく日本国の「はじまりの物語」として今日まで大切に語り継がれてきました。



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延喜式内社 八咫烏神社 社務所発行