【 伊那佐山について 】
境内から東の方向を見やりますと、まるで鳥居が額縁になったかのように美しい山の稜線を見ることができます。
これが伊那佐山(いなさやま)です。
地元の人から「山路岳」と呼ぶこともあるのこの山は、古事記・日本書紀にも登場する由緒ある山なのです。
山の頂上には式内社・都賀那岐神社(つかなぎ)が鎮座しておられ、その社殿の横に歌碑が建っています。歌碑には次の通り記されています。
「楯並めて 伊那瑳の山の 木の間ゆも い行き瞻らひ 戦へば 我はや飢ぬ 島つ鳥 鵜飼が徒 今助けに来ね」
(たたなめて いなさのやまの このまゆも いゆきまもらひ たたかへば われはやえぬ しまつとり うかひがとも いますけにこね)
古事記に由来するこの歌は神武天皇が東遷の際、この地に至って鵜飼いをしていた人に食べ物を持って来て欲しいと要望する内容ですが「戦闘に協力せよ」という意味にも採ることが出来そうです。
ところで「いなさ」とは「東南の風」という意味だといわれています。古代の製鉄 砂鉄から鉄の精錬するための「タタラ」には、風がとても重要で、製鉄に由緒のある神社は、東南向きに建てられることが多いそうです。
そんな御縁からか、当地には伝説の刀匠・天国(あまくに)の言い伝えも残されています。(伝説の名刀「小烏丸」は彼の作品と伝えられています)
八咫烏神社から芳野川に沿って上流に向かうと、菟田野区(うたの)に至ります。菟田野は、古来より水銀が産出することで有名で、近年まで大和水銀鉱山がありました。ちなみに水銀とは、古語でいうところの「丹」です。
また、この芳野川を遡ると、宇太水分神社という式内社があります。水分とかいて「みくまり」と読む「水」の神さまです。この水分神社にも伝説の刀匠・天国の言い伝えが残されています。
これもまた、興味深いことです。
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